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兼業シュフ

働く子育て主夫(婦)が忙殺されませんように。

発達障害はもはや社会現象なのか。私が『出来のいい発達障害』と言われた話

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「お前はホント変わってるな。障害者っぽいというかなんというか。脳がおかしいんやろうな」

15年くらい前、父からこう言われた。実際はもっと差別的で°ストレートな表現だった。どんな状況でこんなこと言われたのかは覚えていないが、ものすごくショックを受け、「あぁ…やっぱり俺はなにやってもダメなんやな」と思ったことをはっきりと覚えている。


こんな嫌なことを思い出したのは、先日僕がリハビリのセラピストとして働いてる発達支援事業所の所長にあることを言われたのがキッカケだった。

事業所のスタッフとの食事会でのこと。僕は料理で出されていた有頭海老の蒸し煮を殻ごと頭からバリボリと頬張っていた。

他のスタッフは唖然として「ねぇ、殻はむかないの?」と聞いてくる。「え?僕は昔からこうやって食べてます。」平然と答えた。

すると、所長はこう言った。

「こいつは『出来のいい発達障害』なんだよきっと。仕事はそつなくこなすけどさ、忘れ物多いし色々変わってるじゃない?」

僕は父親に言われたことを思い出した。

けどあの時のようなショックや自信喪失はない。むしろ僕は妙に納得してしまっていた。


「ああ、そう言われれば…」

『ヘンなやつ』と疎まれた小中学校時代

小学校時代からを回想していた。

小学校時代は『ヘンなやつ』と友達の輪に入れてもらえず、よくいじめられていた。

『いじめは良くない』とはよく言うが、僕の場合は自分に原因があったと自覚している。いま思い返しても僕は本当に『ヘン』だった。


学校には毎日忘れ物をしていた。宿題はほぼ毎日忘れて行ってたと思う。授業中もテスト中も落ち着かず周りをキョロキョロしていた。

「ちょっと…見ないでよ!」

カンニングしていると勘違いされることも多かった。


友達に対する思いやりが足りず、見当違いなことを平然と言うことが多かった。

小学4年生の時に友達が何人か家に遊びに来たことがあった。母がケーキを買って来てくれたが、友達の人数よりひとつ足りない。

僕は「○○くんが帰ればよくない?みんな嫌いって言ってたやん」

なにも悪気なく言ったと思う。みんな凍りついた表情してた。○○くんはべそかいていた。

友達の中でもリーダー的な子が「ゆうポンそんなこと言ってかわいそうとか思わんの!?そんなん平気で言うヤツともう遊びたくないし!」

友達みんな○○くんを慰めながら帰って行った。今になっては当然だと思うが、友達が遊びに来ることはなかった。


僕は勉強ができなかった。特に算数は苦手でテストではほとんど0点だったと思う。

数の大小の概念はわかっていたが分数や少数になると大小はわからなかった。

クラスメイトから「1/2と1/4はどっちが大きい?」と聞かれ僕は「1/4!」と迷いなく答えていた。

「こいつバカやん!」とみんなに笑われていた。分数や少数の「ルール」が全く理解できなかった。

得意な教科は『社会』と『図工』。歴史の年号や人物はほとんど丸暗記できたし、図工の作品は県の作品展で入賞することが多かった。


そんな学童期を過ごし、みんなから『ヘン』だといわれることに半ば恐怖感を覚えていたように思う。守ってくれると思っていた両親も「おまえは本当に頭が悪いなぁ」、「普通じゃないからいじめられるんだ、もっとシャキっとしろ!」と守ってくれることはあまりなかった。

僕は自分の考えを表出するのをためらい、周囲の顔色をうかがうようになっていた。自信なんてなかった。中学時代はそんなストレスに耐えかねてよく家出をして野宿していた。


なんとか高校に進学することはできたが、勉強には相変わらずついていけず留年ギリギリのラインをずっとさまよっていた。唯一の救いは部活動を始めて苦手だった運動が人並みにできるようになったこと。身体の使い方を真剣に考えると、自然と運動もできるようになっていた。

部活のなかでの表向きな上下関係は理解できても、『道具は率先して後輩が片付ける』、『進んで掃除をする』みたいな暗黙のルールは理解できず、先輩からシゴかれることが度々あった。


発達障害』の特徴をもった僕がなぜ『出来がよくなった』のか

学童期から青年期を思い返すと、『発達障害』に当てはまりそうなことがたくさんあったように思う。

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出典:
https://h-navi.jp/column/article/134


授業中にきょろきょろしてしまう、忘れ物が多いのはADHD注意欠陥多動性障害、友達に対する配慮の欠如やそれに伴う発言は一昔前のアスペルガー症候群(現在の最新の診断基準であるDSM-Ⅴでは『自閉症スペクトラム』のなかのアスペルガー障害となっている)、算数ができない、数の大小が理解できないのは学習障害のなかの『ディスカリキュア』といわれる特徴だ。そして、ほとんどの発達障害と言われる人たちは自閉症スペクトラムADHD学習障害の特徴をいくつか持ち合わせている。


なぜ、そんな発達障害の特徴をもって『生きづらさ』を感じていた僕が『出来がいい』と言われるに至ったのか。

それは高校卒業後からの社会人としての経験が大きかった。

高校卒業後はやりたいことも見つからず、成績もほぼ最下位でギリギリ卒業できたくらい。大学進学はとうにあきらめていた。業を煮やした僕の父はアメリカで知り合いが経営している飲食店に僕を修行に出すことにした。

その店はどんな底辺の人間でもまっとうに仕上げる『人間再生工場』という妙な肩書をもっていた。仕事はとても厳しかった。毎日朝8時から夜中2時まで働きずくめ。休みは週1日あるかないか。今でいう完全な『ブラック企業』だ(笑)。アルバイト経験もなかった僕はとにかく仕事ができなかった。お客への配慮もできず、仕事の順序も分からず、異国の言葉(英語やスペイン語)も分からず…。

毎日先輩や上司からのダメ出しの日々。完膚なきまでに叩きのめされ、元々ない自信も喪失し、どん底だった。僕にできることと言えば、丁寧に皿を洗うことと店の掃除をすることくらい。とにかく自分ができることだけに集中した。

そうしていると、『もっときれいにしないと』と清潔に気が向く(こだわる)ようになった。トイレ掃除を率先して行い、最後まで残って店のなかをきれいに掃除した。先輩の動きをくまなく観察して真似をした。次第にミスは多いものの店全体の動きが把握できるようになり業務を回せるようになった。テンパった動きや知ってる単語をただ組み合わせた英語がコミカルだと、お客さんにもかわいがられるようになった。『料理がおいしい』とほめられるようになり、メキシコ人が支配するキッチンを片言のスペイン語で切り盛りできるようになった。注文を忘れることが多かったが周囲がとても献身的にサポートしてくれた。

当時のボスの言葉が印象的でこの後の僕の人生に多大な影響を及ぼした。

「おまえは不器用だ。確かに普通の子に比べれば能力は劣る。けどおまえは努力の天才だ。器用なやつの真似はしなくていい。おまえのペースで階段を1段ずつ登っていけばいいんだ。」


この経験によって、上下関係や他者への気遣いという人間関係を構築し、社会で生きていく上で最低限必要なスキルを身につけることができた。またアメリカの障害をも『個性』とみる風潮が、僕の発達障害的な『ヘン』なところを『個性』として受け入れてくれたのだろう。たくさんの友達や、よき先輩後輩に恵まれた。

なにより「俺はやればできるんだ!」という自信ができた。

自身の過去を振り返って思うこと


回想時間約5秒(笑)

僕は所長に「そういえば『発達障害』と言われて思い当る事ってたくさんあります…。通所してる子どもたちに算数を教えるのが苦手なのって僕が学習障害の要素もあるからなんですかね…」

所長は「じゃあ自分が理解するためにはどうしたらいいのか考えたらいいじゃない。それを活かせたら通所してる子どもへの訓練の仕方も無限に広がるんじゃない?自分の経験を、子どもの支援に活かしてみせろよ!」


医者にかかって『発達障害』という診断を下されたわけではないが、おそらく僕は発達障害なのだろう。けどそんな僕がそれなりに社会のなかで『生活できている』ということに少なからず自信を持つことができたし、なぜか安心した。

父に「おかしい」と言われた15年前とは違い、発達障害という概念が世に広く知れ渡るようになり少しずつその症状のなかの『おかしさ』や『ヘン』なところも世間に理解され始めた。ただ漠然と「俺って何やってもうまくいかない…ダメなんだ」と思うよりそのうまくいかない『原因』を知ることができたのが安心を感じた要因だと思う。


こんなタイミングでこの記事をみた。

p-shirokuma.hatenadiary.com


この記事のなかでこのように書かれている。

精神科を受診することなく社会適応しているASDな人の背景には、高学歴や職業適性の良さがあったり、理解ある環境があったり、趣味生活による人的ネットワークがあったりする。 ~中略~ 社会に溶け込んでいるASDっぽい人やAD/HDっぽい人のなかには、それらの疾患の短所によって不適応を起こしているというより、それぞれの疾患の長所によって社会適応を成し遂げているとしか言いようのない人達が少なからず存在している。少なくとも私の目にはそううつる。彼/彼女らの社会適応のかたちは多種多様で、簡単に応用できるものでもないけれども、それだけに、個人それぞれの社会適応の個別性や可能性をあらわしているようにみえて、興味深い。

「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠


僕が社会適応でき、『出来がよくなった』のは、周囲の環境からのサポートが大きかったのだろう。確かに努力はしたが、周囲の寛大な理解がなければおそらく努力することもできなかったし、仕事を『好き』と思い楽しむこともできなかった。

そして、最初に社会を経験したのが『アメリカ』という障害に寛大な環境であったことや、『医療福祉』というまさに障害を持つ人たちを支援する環境だったことも『発達障害』かもしれない僕にとっては自分を理解してもらえるうってつけの環境だったのかもしれない。

発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由





しかし、最初に就職した病院の上司からのパワハラによって、そんな自分に再び自信が持てなくなり、仕事にも適応できなくなって『うつ病』になったことがあった。

けど、シロクマ先生のブログに書かれているこんな言葉に僕はすごく勇気づけられた。

けれども、発達障害的な性質をもっていながら、厳しい社会を世渡りをしてきた人達は、たいしたものだと私は思う。うつ病適応障害の合併状況を踏まえつつだが、私は、そういう患者さんに対して「あなたは発達障害に該当するし、今は人生が難しい局面になっているかもしれないけれども、それでもあなたは今まで世渡りをやってのけていたんですよ!生きてきたんですよ!」というニュアンスをなんらか伝えたいと思う。

「よく発達した発達障害」の話 - シロクマの屑籠

発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ (健康ライブラリー)



こんな僕でも家庭を持って、人一倍仕事もがんばって家族を支えている、と思っている。いまだに計算もできないし、あちこちに私物を忘れて回るし、空気の読めない発言をして妻をはじめ周囲を不愉快にさせるけど、なんとか社会に適応できています。


現在、発達障害の診断により通級指導を受けている児童・生徒は9万人を超え、この20年の間にその数は7倍に膨れ上がったといわれています。その背景としては医学の進歩によって障害が発見されやすくなったこともありますが、それに従って社会が非常に発達障害に対して敏感になっているのも要因なのかなぁ。



「あいつ空気よめねぇまじアスペ」


「ほんと落ち着きがないけどADHDなんじゃない」


と障害のネガティブな側面ばかり取り上げるのではなく、『好きなことには驚異的な集中力を発揮する熱心さ』や『注意が広がりやすい分、興味や関心が広くていろんな情報を集められる』などのポジティブな側面がもっと多くの人に知られるといいですね。